緑男達に守られるように人間が虚無界の大地を、アマイモンの管轄している領域をさまよっている。小鬼が人間を食べようとしても、人間を守ろうとする悪魔 によって退けられているらしい。そんな話を聞いて、退屈しのぎにとアマイモンはその姿を領域の最果てまで足を運んでいた。
そこは樹木と草花に囲 まれた入り組んだ樹林帯だった。道を知らない者が入り込んでしまえば入り口もわからず、さまよい朽ち果てるという密林。小鬼達が言うには追いかけているう ちに人間はこ森の中に入っていったらしい。追いかけようとしたらそこに生息している緑男が道を阻んだそうだ。
樹林に足を運び、木々にその人間の居場所を尋ねればすぐにたどり着くことができた。樹林の奥の少し開けた場所にある虚無界では珍しい花畑。その中心にその人間は緑男達と一緒にいた。
見覚えのある顔にアマイモンは首をひねった。その人間知る限りだと物質界で死んだとしても、虚無界に引っ張られるような人柄ではない。実際に迷い込んだな ら最近遠目に確認した姿とは随分と異なっている。本来ならもっと年老いているはずだが、その人間はどう見ても10代の娘だった。悪魔と契約して使役する手 騎士だとしても生前の行為だって、背徳からほど遠い人物だったはずだ。
――それがどうしたんだろ。なんでこの女はここにいる?
よりにもよってアマイモンが治める土地に。
――食べてしまおうか。
物質界から墜ちてきた魂は、虚無界で体を得る。若い体の娘は肌は白く肉は柔らかそうでずいぶん美味しそうに見えた。小鬼達が食べたがるのも無理はないだろう。
しかし、そうするとしてもその前に疑問を解消しないとアマイモンは気が済まなかった。気兼ねも遠慮もなく、木の上からその娘の目の前にアマイモンは降り立った。
「どうして、ここにいるんですか。あなたのような人間が」
「え?」
座り込んで花を愛でいた娘は、突然の来訪者に戸惑って顔を上げていた。周囲にいる緑男達は相変わらず娘の周りに佇んでいるが、注意をアマイモンに向けただけで妨害するようすはなかった。
「わたし……のことですか?」
「あなた以外にここに誰がいるんですか?」
その言葉に、黙り込んで娘は周りを見回した。目の前にいるアマイモンを除けば人型をしているのは娘だけで、その他は植物を生やした土人形の緑男ばかりだった。
「失礼なことを聞いてもいいですか? あなたは誰ですか? あなたは、わたしを知っているんですか?」
「記憶がないのですか」
娘はこくりと頷いた。
「あなたとは何度か会っています。生前に、の話ですが」
一通り話を聞けばアマイモンにも娘がおかれている状況がつかめてきた。
気づいたら娘は虚無界にいたということ、自分の名前はおろかどこから来たのかもわからないということ、小鬼に襲われそうになったら緑男達が現れて助けてくれたということ、緑男達に誘われるままこの花畑に来たということ――。
「杜山しえみ?」
「ええ、それがあなたの名前です」
名前を告げると、まだ信じられないのかその名前を自分で確認するように娘はつぶやいている。
状況を確認するとある程度アマイモンの疑問は晴れていた。ただ一つ、どうして娘がここにいるのか? という疑問だけは晴れていない。
「あの」
「何ですか?」
「ここはあなたの領地……なんですよね?」
「そうです。少なくともあの高台から見える景色はすべてボクのものです」
森に囲まれたここからでも見ることができる小さな山を指してアマイモンは告げた。しかし、しえみは実際の領地の大きさに驚いた様子もなく、何かを考え込むように視線を落としていた。
「……わたしとアマイモンさんって、どうゆう関係なんですか?」
しえみがもう一度視線をあげて、まっすぐにアマイモンの目を見据えられて、問われて――。アマイモンは『彼ら』に関わり始めた最初の時の出来事を思い出していた。
――あの時はただの口実だった。
しかし、実際に契約の言葉をアマイモンが囁き、しえみはその契約に頷いていた。しえみの意志があろうとなかろうと、契約は完了していたのだ。
「ああ、そうか。ボクが結んだ契約に縛られて、魂だけは虚無界に落ちてきたんですね」
「契約?」
ともすれば、しえみの姿が若いのもアマイモンには納得がいった。契約時の姿のままで、魂は虚無界に落ちてきたのだ。
「あなたはボクのお嫁さんということです」
一人納得してアマイモンは頷いた。唐突に『何度かあったことがある』から『お嫁さん』に飛躍したことに、しばし言葉を失ってしえみはアマイモンを見上げていた。
そして、すぐににっこりとほほえみをしえみは浮かべていた。
「おや、戸惑わないのですか」
しえみの笑顔に対して不快感はない。けれども、その理由がアマイモンにはわからなかった。
「わたし、誰かに会うためにここに来たの。その誰かが誰なのか――ずっとわからなかった。あなた、なんだね」
握手を求めるように差し出された手を、少しだけ迷いながらアマイモンは握った。いつの間にか、娘を食べようかと考えていたことをすっかり忘れて。