悪夢の話 ――前篇――


――嘘。体が……。

 急に重くなったと思った瞬間、モルジアナは衝撃を感じて後ろに吹き飛ばされていた。起きあがる間もなくその背が地面に押しつけられる。
  モルジアナが、マゴイが尽きたのだと気づくまで時間はいらなかった。

「モルジアナ!」

 名前を呼ばれて反射的に顔を上げれば、別のところで敵と戦っているアリババがモルジアナの目に入った。彼は交えていた相手の剣をはじくと、大きく後ろに下がって距離をとった。即座に懐に空いている片手を入れ、その手を一線させた。彼が投げたナイフがはじかれ地面に落ちるのと、モルジアナの首の横にナイフが突き立てられるのは同時だった。

「そこまでですね。彼女の命が欲しかったら動かないことです」
「くっ……」
「アリババさん! 私のことは気にし、んぐっ」

 余計なことは言うなといわんばかりに下顎を持ちあげられた。モルジアナが舌を噛まずにすんだのは不幸中の幸いだろう。

「まずはその物騒な武器を手放してもらいましょうか」
「武器を捨てれば、彼女は解放するのか?」 
「それはあなた次第です。けれども、その前に要求を飲まなければどうなるかはわかるでしょう?」

――やめてっ!

 悲鳴をあげることができていたなら、モルジアナは叫んでいただろう。

 こんなはずじゃなかった。
  ただ二人で買い出しに行くことになって――運が悪かったのだ。彼らーーアルサーメンとばったり出くわしてしまったなどと。
  フードで顔が隠されているため、はっきりと確信できた訳ではないが、気づかぬふりをして立ち去ろうも尾行されている気配は感じていた。
  それからは街の人々を巻き込まないように、人通りの少ない路地へと逃げ込んだ。慣れない街で逃れることを必死に考えたが、向こうが追いつく方が早かった。

 
「ちっ」

 舌打ちと共にアリババは宝剣を手放した。乾いた土に金属が転がる音が響く。

「俺はどうなってもいい。その代わり、モルジアナは見逃せ」
「あなたが我々の要求をのんでくれるなら考えましょう」

 アリババが横に視線を走らせれば、モルジアナと視線がかちあった。言葉に出さずとも、彼女の見開いた目から自分の行動が望まれていないことだけは、アリババにもわかっていた。けれども、選択肢は他にはない。アリババにはモルジアナの首に添えられた刃がいやというほど見えていたのだから。

「……要求は飲む。だから確約しろ」
「疑い深い人ですね。わかりました」

 目の前の男が何事かを呟けば、さして時間もたたずモルジアナは睡魔に襲われた。魔法によるものだろう。目蓋が閉じていくのに必死で抵抗しても、視界は暗く閉ざされていく。

 彼らにとってモルジアナの命など気にもならないものだろう。生きていようが、死んでいようが関係無い。彼らが命を狙っているアリババやアラジンに比べたらさしたる価値もないのだ。交渉材料として使えなければ、殺すことにためらいもしないだろう。
  それがアリババにはわかっていた。首を横に少しでも振れば、迷いもなくふりおろされる刃。見捨ててほしいと仮にモルジアナが願ったとしても、アリババにはモルジアナを見捨てることなんてできなかった。

 

「……逃げるんだ、モルジアナ。一刻も早く、アラジンをつれてこの街から――」

 モルジアナの意識が完全に落ちる直前、近づいてきたアリババが彼女の耳にささやいた。その言葉を最後にモルジアナの意識は、暗闇へと落ちていった。

 


「祭り……ですか」
「そ。ちょうど隣の国で明日やるみたいでさ。船でちょうど一時間くらいの場所だし、アラジンと三人で一緒に行かねえかって話になって」

 買い出しついでにちょっと寄るだけ。と名目を付け加えたようにアリババは言ったが、はたから見ればどうみても目的は第一声に含まれている。
  現在、アリババ、アラジン、モルジアナはシンドリアで三人それぞれ修行の日々を送っていて、それはそれでかけがえのない時間である。けれども、日中顔を合わせる機会が少なくなって、話をする機会はその日に会えるかどうかという偶然にかなり左右される。それぞれの修行の様子とか、何か困ったことはないかとか、アリババが気になっても聞く為の時間が割けないというのが実情である。
  そんな時にたまたま耳にはさんだ祭りの話は、アリババにちょうどいい機会だと思わせた。それに祭りと言えば、修行の息抜きにはもってこいだ。

「師匠達が明日は会議らしくって修業は休みらしいし、モルジアナがよかったらどうかなって」
「……私も、行っていいのでしょうか」

 戸惑い気味にモルジアナが言えば、当たり前だとアリババは強く頷いた。

「もちろんだって! アラジンも喜ぶしな!」
「では、是非」
「よーし! それじゃ明日は朝一で出発だけれど、大丈夫か」
「はい」

 市場が始まるのは早朝と相場が決まっている。祭りに行くのは買い出しの後だ。長旅にも使えそうな道具がないかも気になるし、商いに興味があるアリババとしても新しい品が入っているのかも気になる。

――できれば知りたいこともあるしな……。

 モルジアナが行くと言った瞬間から、早朝の船の時間はいつだったっけ、あとで調べないとなーとアリババの思考は移っていった。
  だから、アリババは気付かなかった。アリババに満面の笑みを向けられて、モルジアナの胸が高鳴り頬が僅かに赤く染まったのを。

 

「すごい人だねぇ」

 祭りということもあり、近くで開かれている市場も道を人が埋め尽くして溢れかえっていた。
  一度でも迷子になれば、合流することは難しいだろう。シンドリアの近くにあるこの街は交易点の一つとして、バルバッドほどではないが栄えていて街の規模としてもかなり大きい。人の流れがどうなっているかはわからないが、流されてとんでもない所に辿りつきそうでもある。

「それじゃはぐれた時の待ち合わせ場所を決めとくか。この船着き場でどうだ」

 船着き場もかなりの人が行き来しているが、それでもこれから入る街の道に比べれば随分ましである。
  なるべくはぐれずに移動したいが、この人込みでは押し流されてはぐれない保証は無い。

「そうだね。ここでいいと思うよ」
「はぐれたらここに来ればいいんですね」

 アリババの提案に二人は頷いた。
  モルジアナが振り返れば、帆船が所狭しと船着き場に並んでいた。晴天の太陽が頭上ではさんさんと輝き、たたまれた帆が潮風に煽られ、わずかにはためいている。

 

 正午から二番目の鐘が鳴る頃には一通り祭りを歩き回り、広場で披露されている大道芸や屋台の食べ物を三人は楽しみつくした。
  鐘の音を聞きながらアリババは広場を振り返った。まだまだ祭りは続く。夜の帳が下りる頃には松明が焚かれ炎を囲んで踊りが披露されるらしいが――。

「夜までいてもいいけれど、あんまり遅いと心配かけるしな」

 その時間まで残れば、当然船も出ていない。後ろ髪がひかれる思いもあったが、三人は元の船着き場に戻ることにした。
  その道の途中露店も幾つかすれ違うのだが、その中の一つに興味を持ったアラジンが足を止め、二人もそれにならった。どうにも扱っている品は、魔法の品らしい。杖やら怪しげなランプやらが並んでいるが、魔法の知識がない人間がみても用途もわからなければ価値もわからない。アラジンと同じようにモルジアナもアリババも商品を見てみたが、首をひねっている。アラジンがひとしきり商品を見回した後顔を上げれば、同じように商品を見つつ頭に疑問符を浮かべているような二人に気付いた。

「僕、このお店をもうちょっと見ていたいから、二人で先に行っててくれないかな」
「おう、わかった。それじゃ先に行っているな」

 アラジンとはここで別れて、荷物を抱えてアリババとモルジアナは歩き出した。
  先を歩くアリババの背を見つめながら、モルジアナはぼんやりと市場でアリババが行商と話していたことを思い出していた。

――商品のこととかはよくわからなかったけれど、たしかあの話は――。

「あの、アリババさん」
「ん? どうした、モルジアナ」

 先を歩いていたアリババが歩調を緩めて、モルジアナの隣に並んだ。一瞬、言うべきかどうかを悩んだが、モルジアナは疑問を口にした。

「あの……やっぱり、バルバッドのことが気になりますか?」
「……気にならないって言ったら嘘になるよな」

 アリババが行商に聞いていたのは、バルバッドの話だった。商業の流通はどうなっているか、復興はどうか、治安はどうか、あの名産品は今は手に入るのか、など――。バルバッドから訪れたらしい行商を見つけては、商品を買う傍ら話を聞いていた。 

「少しずつだけれど、復興しているって聞けて良かったよ。治安も安定しているって言うし、本当に良かった」

 そう言って笑ったアリババだが、その笑みの中に影があることにモルジアナは気付いていた。

「ま、今の俺じゃバルバッドにいた所で足手まといにしかならねえし」

――またこの人は――。

 自分を卑下して、過小評価している。そんなことはないというのに。

「そんなことっ! アリババさんがいてくれたらそれだけでも違います! きっとバルバッドの人々も嬉しいと思います!」

――私だったらきっとそうだ。こんなに優しい人が一緒に頑張ってくれるなら、それだけでも励みになるのに。

 急に大きくなった声に驚いて、アリババは呆気取られていた。つい声が大きくなったことに気付いたモルジアナの顔は真っ赤になっていた。
  アリババの視線が恥ずかしくて、モルジアナは少しだけ足早に歩いた。

「……ありがとうな、モルジアナ」

 その背中に向かって、ぽつりとつぶやいた言葉にますますモルジアナの顔は赤くなっていた。

 

 そんな時だった。彼らに会ってしまったのは。

 

 揺さぶられた感覚にモルジアナの頭は急に覚醒した。

「っ! アリババさんっ!」

 はね起きれば、起こしてくれたと思われる老人が目を瞬かせていた。

「あ……」
「おじょうちゃん、こんな所で寝ていたら日射病になってしまうぞい」
「は、はい……。ありがとうございます」

 戸惑いながらも礼を述べれば、老人は去っていった。状況を整理するように四方へ視線を走らせれば、さっきまで歩いていた街の一角だ。立ちあがろうとして、脇腹に走った痛みに思わずモルジアナはうめいた。痛みが――警鐘を鳴らしている。

――アリババさんは……。

 姿を探そうとして、脳裏に思い出したのは彼の声だった。昏睡する直前にささやかれた、伝言に近い言葉。

『……逃げるんだ、モルジアナ。一刻も早く、アラジンをつれてこの街から』
「あ……」

 現状を、目が覚めた時から僅かに遅れてモルジアナは理解した。荷物はご丁寧に近くに置かれている。逃げている途中に落としたものも含めてだ。

――追っていった所で私に何ができるというの。

 実力差は見せつけられた。追って見つけたとしても、足手まといにしかならないだろう。

 アリババが残した言葉が、反射的にアリババを探そうとしたモルジアナの足を止めていた。

 


「……逃げるんだ、モルジアナ。一刻も早く、アラジンをつれてこの街から――」
――そうすれば最悪、アラジンとモルジアナだけでもシンドリアで保護してもらえる。

 モルジアナに伝言を託した後、彼女が街の隅に横たえられるのを見届けて、アリババもまたモルジアナと同じ術をかけられて気を失った。

 

 冷たい石の感触に、眼がさめれば牢屋のような場所にアリババは転がされた。頭が覚醒するのは早かった。アリババの手は後ろ手に縛られており、体は自由に動かなかった。なんとか身を起こして、辺りを見回して状況を即座に確認する。部屋はせまく一つの松明に爛々と照らされている。鉄格子の向こうにいる看守は一人――その彼はアリババが目を覚ましたことに気付き、すぐにどこかへと去っていった。そして、唯一ある部屋の小窓からは月明かりが漏れており、時刻は夜になったことがわかった。
  懐に手はやれないが、いつもの宝剣の感触も重みも今は無い。恐らく没収されてそのままなのだろう。

――当然っちゃ当然だよな。

 ため息をついて、壁に寄り掛かると余計に肌が冷たくなるのを感じた。

――モルジアナはちゃんとアラジンと合流できたかな。

 自然と日中のことを思い浮かべていた。油断していたのか、軽率な行動だったのか、自分が祭りに行くと言わなければこんなことにならなかったのか――。
  思考に浸っていると、カツリカツリと石畳を靴が叩く音が響いてきた。すぐにその足音はアリババの前にやってきた。

「出ろ」

 声からすると、昼間アリババとモルジアナが戦った相手だろう。仕方なくアリババが立ち上がれば、格子の扉が開かれた。

 牢からは出されてから、アリババはひたすら長く細い通路を歩かされていた。道はグネグネと曲がっており、迷宮の作りになっているような印象さえ受けた。その長い道にもすぐに終着点がやってきた。トンネルの先のように明るい場所へ続く鉄格子に閉ざされた出口が見えた。

「入れ」

 その鉄格子が開かれ、アリババの背中が押された。暗いところから明るいところへとさらされて、アリババは目を細めた。
  そこは出口というより巨大な行き止まり――コロシアムだった。何もない円形の広場を高い壁と観客席がぐるりと囲んでいる。たいまつが数多くたかれ、広場に陰はない。反対に観客席は薄暗く、そこにいる人間の顔も判別できないが、相当数の観客がいることだけはアリババにもみてとれた。

――猛獣と殺し合いでもさせる気かよ。なぶり殺しにしようって魂胆なら、こっちだってあらがってやる。

 振り返れば後ろで鉄格子が音を立てておろされた。ここまでアリババを連れてきた男は、鉄格子の向こうで佇んでいる。

「ここで俺になにをさせようっていうんだ」

 こんな所に連れてこられてろくな予感がしないが状況を整理する為にもアリババは尋ねた。
  男が手にした杖を振りかざし何事か呟くと、アリババの後ろ手を拘束していた縄が独りでに解かれた。そして、男は自身が持っていたアリババの短剣を、アリババの足下に投げた。反射的に手を伸ばし、アモンが宿っている短刀をアリババは掴む。そんなアリババの様子を介した様子もなく、男は口を開いた。

「あなたには、次にこのコロシアムに入ってくるモノを殺してもらいます。鐘が六回鳴り終わる前に、それを殺さなければ――、ここに来る途中奴隷の子供たちをみましたね。彼らの命はありません」

 それまでまともな会話をしたことのなかった男がつらつらと話した言葉に、アリババは耳を疑った。確かに、牢から出されてこのコロシアムに歩いてくるまで、同じように牢に閉じ込められている奴隷と思しき子供達を目にしてきた。けれども、それだけだ。言葉を交わしてなければ、以前に会ったこともない。

「はぁ!? そいつらは俺に何の関係もないだろ!」
「そうですね。ありません。ですが、その場合彼らは一人残らず殺します。もちろん、ここからあなたが逃げだそうとした場合も同じです」

 口にしたルールがまるで当たり前のことのように、男の声には抑揚も感じず、淡々としたものだった。ベールで顔が見えないが、おそらく表情の一つも動かしていないのだろう。事の異常さと自身が置かれた状況に、アリババは思わず口を閉ざした。名前を知らないとはいえ、

「なに。あなたがアレを殺せば何も問題はないのですよ。ああ、あと……あなたがアレに殺された場合も、同じですから」
「子供達の命を守るためには、ソイツを殺せってことか。けどよ、この先の戦いで俺が勝ったなら奴隷は解放するのか」
「いいえ。関係ない奴隷の命がかけられるのはただのルールですから、その後の扱いに関してはなんら変わることはありません」

 すいっと、不意に男がアリババの後ろを指さした。指し示された観客席の中に、一カ所だけ広場側に突き出た場所がある。そこには一つの檻が置かれていた。
  その中にいる存在に気づいて、アリババは目を見開いた。

「んなことしなくても俺は逃げねえよっ!」

 反射的にアリババは目の前の男に怒鳴っていた。
  子供がいる。服や腕に見える鎖から、奴隷の子供だろう。檻の中にうずくまり、震えていた。その檻のすぐ後ろには、檻ごと子供を貫けそうな大降りの刃物を持った屈強な男が立っていた。
  あれは人質なのだと、アリババが意に反する行為をすればすぐにでも、見せしめとして殺されるものだということだ。

「果たしてそうでしょうか? ああ、もうすぐ始まりますね。――最後に、ここの観客についてですが、彼らはここで何が行われるのかを知って、ここでのショーを楽しみにしています。少なくとも、彼らの機嫌を損なわないようにお願いしますね」

――んなこと、知ったことか。

 言ったところで無駄だとわかっているから、アリババは胸中で悪態ついた。
  男は去る様子もなく、その場に佇んでいる。アリババは嘆息して、広場と、そして、観客席に掲げられた檻へと目を向けた。助けたいが今のアリババにはどうすることもできない。鐘がどこかで鳴らされて、場内のざわめきが一際大きくなっていく。
  ここの観客がどんな連中なのかアリババは知らないが、少なくともここにいるということはアルサーメンと関係ある人間に違いと思っていた。またその点だけで、まともな人間が集まっているはずがないことも、アリババは想定していた。
 
  ただ、この場所とこれから行われる事への異常さをまだアリババは理解していなかった。

 間もなくして、アリババが入ってきた入り口の正面にあるもう一つの入り口。その鉄格子が音を立てながら上げられた。
  同時に小さな影がコロシアムへと入ってくる。

「……ふざけんなよ」

 コロシアムに入ってきたのは、黒髪の小さな子供だった。年は10か12か――アラジンと同じくらいだろうか。手には、その子供にとって大きすぎるような――身の丈より僅かに短いほどの剣を携えていた。
「お兄ちゃん!!」
  その子供が入ってきて、別の子供の声がコロシアムに響いた。檻に閉じ込められた子供が、鉄格子を掴んで食い入るように入ってきた少年を見つめている。少年もまた視線を上げて、自分を呼んだ子供を一瞥してから、アリババに対し剣を構えた。この状況にしてはあまりに落ち着いている少年にアリババは違和感を感じつつも、自身も剣を構えた。
  ようやくアリババは理解した。

 どうして彼らがあそこまでアリババの行動を雁字搦めにルールで制限したのか。
  彼らが自分に何を望んでいるのか。
  自分がこれから何をさせられるのか。

 怒りのあまりに、アリババの短剣を握る手に力が入った。

『さあ、さて皆様! 今宵はよくぞ集まってくれました! ルールはお入りになった時、説明した通りでございます! 心優しいアリババ王子が、四半刻ごとに鳴る鐘がいくつ鳴るまでに、罪のない奴隷の少年を殺せるのか! さあさあ、おかけください!!』

 司会とおぼしき男が拡張機を使って声を張り上げた。同時に響きわたる歓声と熱気に、アリババは狂気しか感じなかった。

 

 

「物わかりの良い子ですよ。自分が何を為すべきかを、よく分かっている。おかげで余計なことをせずに済みます」

 

 


 迷いを振り切ってモルジアナは約束の船着き場へと急いだ。脇腹は相変わらず痛むが気にしてもいられない。どれくらいモルジアナが眠らされていたのかは分からないが、陽は傾きつつあった。

――アラジンに、会わないと。

 アラジンと合流して、その先でアリババが残した言葉通りに行動するのか。それは、相談して決めればいい。
  一度シンドリアに戻って助けを請うのか、体制を整えるのか、どうすればいいのか、細かいことは今のモルジアナにはわからない。わかっているのは、自分の不覚が原因でアリババが連れ去られたこと、現状の段階でマギたるアラジンが一緒だとしてもアルサーメンに対抗できるかはわからないこと。それくらいだ。
  人込みを避けて走ればすぐに船着き場についた。船着き場の人の往来は相変わらずだったが、すぐにモルジアナはアラジンを見つけることができた。目立つひと塊りになっていたから、すぐに気付いた。

「……どうして皆さんがいらっしゃるんですか」

 近くに行き、そう言えばアラジンを含め、その場にいたシンドバッドと護衛のマスルールとジャーファルも振り向いた。

「モルさん! ずっと来ないから心配したんだよ! あれ? アリババ君は?」

 何気ない問いにモルジアナは息がつまった。罪悪感にのまれそうになるにも、首を振る。

――早く、伝えないと。

「……ごめんなさい、私のせいです。アリババさんは――」

 短く状況を説明すれば、アラジンだけでなく横で聞いていたシンドバッド達も顔色を変えた。

 最悪な状況の中でも、これならまだ希望が持てる。
  モルジアナはそう思っていた。

 

 

 刃と刃がぶつかり合う音がコロシアムに響いていた。殺せ殺せと醜いヤジが飛ぶ中、ショーが始まってから四回目の鐘が鳴らされた。

――あと、二回……。ちくしょう、どうすりゃいい!

 少年が繰り出す剣をさばきながら、アリババは焦っていた。剣を合わせてから、時間にして一刻が過ぎた。こう長丁場になれば、武術に通じているらしい少年にも当然疲れが見え、剣にもにぶりが見えてくる。アリババも金属器としての力を使っていないが、気の抜けない状態に疲労を感じていた。
  ちらりと上に視線を走らせれば、この長々としたショーに飽きる人間は今のところいないらしい。それどころか最初に見たときより増えているようにもアリババは感じた。

「ちくしょう外れた!」

 鐘が鳴る度に聞こえてくる賭けが外れた嘆き声やその結果をあざ笑う声が一層アリババを苛立たせていた。ここにアリババをつれてきた男が言ったとおり、ここの観客は本当にこの狂ったショーを楽しんでいる。この異常なショーを楽しむ感性自体がアリババには理解できなかった。だが、奴隷を人とは思わない人間がいることは、バルバッドでもチーシャンでも見てきた。だから、余計に彼は苛立った。
  戦いは一進一退の攻防を続けてはいるが、アリババ自身は少年に危害を加えるほどの攻撃はしていない。それでも、少年の頬や腕に血が滲んでいるのは、わざと避けやすいように行ったアリババの攻撃に少年自身が避けず突っ込んでくるからだった。おかげでアリババは一層短剣の扱いに気を使わなくてはならなかった。

 鐘が六回鳴るまでと男は言った。だから、アリババにできる時間稼ぎも次の鐘が鳴ったらできなくなる。
  突破口は見つからない。
  間に合うかもわからない外からの助けは当てにできない。

――時間が来たら、俺は――。

 何度目ともわからないつばぜり合いで力を入れると、アリババは少年を弾き飛ばした。自然と距離を取る形になる。

――こいつを手にかけるのか?

 想像ができなかった。想像も、したくなかった。

 

「もう、止めてくれよ」
「何?」

 剣を交えてから、一言も話さなかった少年が口を開いた。

「あんたは別に構わないかもしれない。手を汚したくないんだろ。僕を殺そうが殺さまいが、あんたは死なない」

 ゆっくりとだが、間合いを静かに少年は詰めてくる。反対にアリババが下がれば非難するように鋭い視線が飛んできた。

「でもあんたが僕を殺さないと妹や弟が殺される! あんたの偽善で殺されるんだ!」

 叫ぶと同時に少年が突っ込んできた。
  少年の気迫にのまれて、アリババは一瞬加減を忘れた。少年が手にしていた剣がはじかれ、後方へと落ち、少年は地面に尻もちをついた。その少年の喉元に、アリババは剣を突き付けていた。

「お、俺は……」

――殺したくないって言ったところで何になるんだ。この状況で。助けが来るかもしれないから、ギリギリまでねばれって言うのか。

 突き付けた所でアリババに少年を殺す気は無い。一向に迫ってこない刃に、少年は笑った。

「そうやってあんたらは自分の罪にばっか怯えるんだな」

――あんたら?

 少年の言葉に違和感を感じた。少なくともアリババは一人だ。複数形で呼ばれる筋合いは無い。

――まさか――。

 けれども、一つだけアリババは思い当たった。そもそも、ここで言う『ショー』は今回が初めなのか。何度も繰り返されていたのではないか。観客の慣れた様子だってそうだ。一時間も決着のつかないショーを眺めている上、賭けごとをする様子だって慣れたものだ。
  アリババの困惑も知らず、少年は続けた。少年の目が暗く淀んだ色をたずさえていた。

「僕はここを作った奴らが憎い。上にいる連中も憎い。あいつらが死ねばいいのに! どうして兄ちゃんや僕が殺されなきゃいけないんだ!! 僕らが何をしたって言うんだ!!!」

 ひとしきり叫ぶと何を考えたのか少年の口元がニイッと歪んだ。

 短刀に嫌な感触が走った。アリババが反射的に手を引こうともその腕を少年に掴まれていた。ずぶりと、嫌な音と感触が手を通してアリババに伝わってきた。

 

 

「物わかりの良い子ですよ。自分が何を為すべきかを、よく分かっている。おかげで余計なことをせずに済みます」

「自分達に逃げ出す術はない。少しでも長く生き残るには一人ずつ犠牲にしなくてはならない」

「ああ、彼には良く言い聞かせましたよ。残った兄弟達を守る為には、『五つ目の鐘』が鳴る前に殺されなくてはならないと。そうしなければ、今までのように散ってきた兄弟達の命は無駄になると」