彼女が笑うことはなかったような気がする。
どうしたら彼女が笑ってくれるのか、それだけをひたすら悩んでしまったからとてもよく覚えている。
彼女の声が好きだった。
彼女の声はなんというか、透き通っていてまるで歌っているかのようだった。いつまでも聞いていたいと思った。
彼女の横顔は美しかった。
彼女どこを眺めているのか、何を見ているのか、本当は何一つわかっていなかったけれど、彼女と並んで見た景色はとても綺麗だった。
短い間しか会えなかったが、彼女の言葉はいつも淡々としていた。
その言葉が私にヒーローとしての在り方を気付かせてくれた。
彼女を待ちながら、私はなんて声をかければいいか、それだけを考えていた。
「そうだ、私は一方的に約束してしまったんだ。きっと都合が悪くなってしまったのかもしれない。また明日来よう」
再び朝日が昇るのを眺めながら、キースは重い腰を上げた。
ありがとうを伝えたくても、伝えられない。
感謝を花束で贈ろうとしても、贈れない。
「彼女はもう来ないのだろうか」
毎日のようにキースはあの公園のベンチを訪れていた。この日も、あの公園のベンチを訪れていた。
夜のパトロールでも、この公園のベンチを確認してしまう。何度確認しても、彼女の姿を見ることはできなかった。
今ではジョンの散歩コースの定番になっていた。あのベンチまで散歩して、あのベンチで休憩して、彼女が見ていた景色を眺める。いつの間にか日課になってしまっていた。
「そういえばまだ名前も聞いていない」
自己紹介もしていなかった。彼女の名前も知らなければ、彼女に自分の名前を名乗ったこともない。
――それなのに、彼女は通りすがりの私の言葉に耳を傾けてくれた。
自分が迷っている間、悩んでいる間、話を聞いてくれた。それだけでどれだけ救われたのか、それすらも伝えていない。
「こんな風に別れてしまうなら自己紹介すればよかった」
自分達は何も連絡手段がなかった。この場所に来れば会えると、本当にそれだけの間柄だったのだ。
もう一度会いたい。
あなたをこんなに恋しく思っている。
その気持ちを伝えたい。
感謝を届けたい。
それが叶わないことのように、彼女はまだ姿を見せてくれない。