背中に向ける願望


 大虎君に追いかけられながら振り返ると、ちらりと視界の端に先程まで乗っていたタクシーが映った。きっと今頃はタクシーの運転手に藤先輩が頭を下げつつ謝っていることだろう。渋谷サビ丸と一緒に。

――君がいなければ藤善透は俺のモノになるのになぁ。

 あのお庭番がいなければもっと一緒に話せたのに。とため息をついた。
 掴みは良かった。彼は俺の言葉に耳を傾けるという確信は得られた。それだけでも胸が高揚する収穫だ。
 耳をかたむけてもらえるならいくらでもやりようはある。彼のお庭番が隠していることを一つ一つ明らかにして、二人の間にある信頼をボロボロにしていくのもいい。彼がお庭番を信頼していればしているほど、隠し事をされていた事実は彼の胸の内を深く傷つけるのだから。その話の種は彼が住んでいるすぐ近くにすらあるものだから、状況は俺にとって有利だった。
 その時を想像して口元が歪んだ。もし藤善透が自失してすがるモノを失ったら、周りを信用できなくなったら、その時は俺の手を取ってくれるだろうか。

 

 

「渋谷先輩〜〜〜。先日はお世話になりました〜〜〜」

 校舎の廊下で並んで歩いていた二人を正面に見つけて声をかければ、今にも襲いそうな殺気が片方から思いっきり向けられる。それでも実際に跳びかかられなかったのは前回の反省とやはり人目があるからだろう。その隣で、明らかに藤先輩は引きつった顔をしている。表情に一瞬さした影はこの前の話が効いている証拠だろうか。
 そうだったらいいな、と思いつつ、笑顔を向けた。彼の右手に巻かれたままの包帯が痛々しい。できれば傷はあまり残らない方がいいとなんとなく思った。

「何の用だ」
「そんな冷たいこと言わないでくださいよ〜〜。先輩の怪我、大丈夫だったか俺心配で」
「おかげさまで大したことなかったよ。悪いが先生から用事を頼まれていて先を急いでいるんだ。――行くぞ、サビ丸」
「――はい」

 藤先輩は俺と話す気はないらしい。短く言葉を切ると、言葉通り急ぐように俺の横を通り過ぎていく。一瞬手を掴んで止めるかを考えたけれど、やめた。また話すなら二人っきりの時の方が余計な邪魔が入らないで済む。もっとも、渋谷先輩もいる状態で話をしてみても、愉しそうだとは思ったけれど。
 藤先輩の後を追う渋谷先輩の注意は俺から逸れていない。藤先輩に手を伸ばそうとしていたらきっと彼が邪魔していたんだろうな。くすりと口元が思わず歪んだ。

「君、自分で彼を守れていないって自覚あるでしょ?」

 すれ違いざまに小さい声で呟けば、ぴたりと渋谷先輩の足が止まった。図星だ。ご主人の怪我への自責と俺に対する明確する敵意。お庭番のくせに刺客とご主人を二人きりにするという失態を犯した自覚くらいはあるみたいだ。

「なーんてね。冗談ですよ、冗談。ちゃんと藤先輩を守っているなぁ〜〜って俺、渋谷先輩のこと尊敬しているんですから〜〜」

 渋谷先輩を視界の端にとらえつつ、続けて軽口を叩く。一応否定したにも関わらず、向けられた殺気は収まる様子はない。

――来る。

 振り返る様子と足を踏み出す気配を感じた。

「サビ丸っ!」

 が、それ以上のことはたった一つの声に止められた。向けられていた殺気が霧散したのを感じて、声の主を振り返る。その場所へと、何事も無かったように渋谷先輩が歩を進めていくのを見て、ため息をついた。

――もう少しでキレると思ったんだけれどなぁ。

 人前で乱闘騒ぎでも起こせば、藤先輩の近くに居づらくなると思ったけれど、そう簡単にはいかない、か。

 

 

 遠ざかっていく背中を見やりつつ、早く代わりたいと俺は思った。

 あのお庭番に代わって、あの人を守りたいと、――俺があの人の隣を歩きたいと、思った。