道の先へ

――なんども、なんども考えた。でも、駄目だった。いくら考えても俺には答えが出なかった。

 

 人それぞれ自分の道を歩いている。それは幾つものの選択の先にある。その選択というものも人それぞれが決めるもので、たとえ状況に制限されていたとしても、自分以外の誰にも、自分の選択を選ぶことはできない。

 あれは選択の一つだった。

 そして、現在はたくさんの人がそれぞれに行った選択の先に存在している。だからこそ、その選択はどのようなものでも、重い。

 自分はその場に立ち会った訳じゃないけれど、召喚された戦闘の中で姿を垣間見た時にその可能性は考えなくもなかった。それでも、その考えが現実として現れると辛い。期待していたハッピーエンドはあっけなく覆された。それは、結果として目的、『昨日の風』の壊滅を果たすことは出来たけれど、個人的には最悪の結果に終わったってことだった。一番助けたかった人を助けられなくて、終わった。世の中にはよくあることかもしれない。世界は自分の望みが簡単に反映されるような単純なものではなく、また都合のいいものじゃない。

 オレには、どうも……他人事のようには思えなかった。

 

 

 治療の為ユーフォリアがエンドルフによって水棲族の女王の所へ連れて行かれた後、騒がしかった空気を一度静かになった。『昨日の風』のアジトにあった馬車は、子供達や他の攫われた人々で埋め尽くされ、クラスターが連れてきた傭兵達によって一足先に、街へ帰されることになった。全てのやるべきことが終わると、その後のことは焦っても仕方の無いことだった。

 とりあえずオステカの街に引き返すため、『昨日の風』のアジトを後に残された人々はゆっくりと歩き出していた。

「ジンバルト…。死んだんだって?」

 一行の後方を歩いていたレビンは、同じく後方を歩いているリタリーにぽつりと聞いた。リタリーは辺りに目配せを軽くすると、声を低く抑えたまま答えた。

「自ら命を絶ったみたいです。自分の手は汚れていると、生きていくことはできないと言って」

 一度言葉を切ると、リタリーは沈痛な表情で視線を下に落とした。

「クラスター様も、残念でしょうね」

 小さなため息も同時に聞こえてくる。レビンは軽く息を吐いて、上を向いた。視線の先には樹木の天蓋しか見えなかった。

「そっか。なんだか信じられねえな……。死んじまったなんてよ」

 樹の隙間から漏れる光に目を細めながら、レビンは呟いた。

「私もですよ。でも、受け止めなければならないのでしょうね」

 そう言ってリタリーはゆっくりになっていた歩調を少し早めた。リタリーもレビンもクラスターの元で長く働いている方だった。当然、ジンバルトとの交流も長く働いている分、あった。特に情報収拾を仕事とするリタリーとジンバルトは、少なくとも門番専門のレビンよりかは会う機会が多かったのだろう。

――きっとオレよりもリタリーの方が辛いんだろうな。

 少しでも前に進もうとする友人をレビンはぼんやりと見つめた。淡白そうに見えてリタリーはあれで情が深い。感情をあまり表に出さないのは仕事柄上、そうなっただけだと、レビンは思っている。

――自分の手は、汚れている…か。

 言葉を反芻して後ろを振り返った。伝え聞いた言葉は思いのほか重かった。他人事として片付けられるほど、レビンは自分が無関係ではないことを理解していた。

 視線の先には無人になった白亜の砦が小さくなっていた。四角い砦は、無機質な墓標のように見えた。

――オレには墓もないんだろうな。遺すものも、遺せるものも何にも無い。

 墓があったとしてもそこに魂はないことをレビンは知っている。その知識は無い方がまだ気楽でいられたかもしれない。

「レビンさん? どうしました?」

「へ?」

 不意に呼ばれて、レビンは振り向いた。そこには心配そうに顔を歪めたドリーシュが少し離れたところに立っていた。どうやら、前から引き返してきたらしい。

「ド、ドリー!? なんでここに? 何かあったのか!?」

 慌てて駆け寄るとドリーシュは、目を丸くした。

「いえ…そうではありません。急に立ち止まっていらしているようなので気になって……。レビンさん、大丈夫ですか?」

「へ? あー……」

 予想外のことを言われて戸惑いながらもドリーシュは答えた。そのまっすぐな真摯な瞳を向けられて、レビンはドリーシュと同じく一度目を丸くすると気まずそうに視線をそらして頬をかいた。

――心配してくれたんだ。

 嬉しいような申し訳ないような気持ちだった。

「……うん。だ、大丈夫だ」

 首を縦に振ると、ドリーシュはほっと息を抜いた。先に歩いてきたリタリーが厳しい表情をしていたので、ドリーシュは立ち止まっているレビンがもっと沈んだ様子をしているものと思っていたのだ。今のレビンは知り合いが亡くなっただけでなく、姉も生死の境をさまよっている状態だ。とてもじゃないが落ち着いていられる状況じゃないと思う。が、振り返ったレビンはいつもと同じだった。自分よりも周りを気遣ってくれた。

「良かった…」

 ドリーシュの思いつめたような表情が消えて、レビンもほっと息を抜いた。

――オレにはそんな資格がないのにさ。

 複雑な心境だった。ドリーシュが心配してくれると嬉しいと思うと同時に、そんな風に顔を歪めてほしくないとレビンは感じてしまう。自分は近い未来にドリーシュを裏切る。いや、現在の時点だって自分を偽って接しているという点では裏切っているのだ。

 こういった感情はレビンにとって初めてのものだった。ドリーシュに会ってからというものこの感情にレビンは振り回されてきた。ドリーシュが悲しそうだったら元気になってほしいと思うし、楽しそうに笑っていたらレビンも嬉しくなる。……ただその相手が自分以外の男性だったらこの上なく複雑な気持ちになったが。
 
「なんか心配かけちまったみたいだな。悪かったな」

 レビンにとって最近というものは、どうしたらいいのかもわからず、ただ時間をやみくもに過ごしてきたような毎日だった。ドリーシュが暗い顔にならないことだけを願っていたようにも思う。

 そのドリーシュは、今少し緩んだ表情を引き締めるとまっすぐレビンを見つめていた。

「いえ、そんな…。ユーフォリアさんが心配なのはわかりますが、今はエンドルフさまを信じましょう。それに、わたくしでも力になれることがありましたらなんでも言って下さい。話すだけでも気が楽になることがあると思いますの」

――オレが世界を喰らう者だって言ったら楽になれるのか?

 ふとそんな考えがレビンの頭に浮かんだが、ドリーシュの目を見てすぐに片隅から追い出された。

――言えるわけないだろ…。普通に考えても。

 裏切るのが怖かった。ドリーシュはどんな風に思うだろうか。

「だ、大丈夫だって! もう少し楽になったからさ!」

 ドリーシュの視線から逃れるようにレビンは歩き出した。気付けばすっかり一行のまとまりから離されていた。ドリーシュも合わせて歩き出した。

「本当ですか? ごまかしていません?」

「ええっ!? な、なななんで」

「わたくしは、本当に辛いことは誰かに伝えないと楽になれませんでした。だから、何か胸の内に溜め込んでいるなら話してほしいですの。レビンさんは言葉を伝えるのが上手でないとリタリーさんが言ってました」

 いつになく積極的にドリーシュが聞いてくるのは、リタリーが前もって何かを吹き込んだようだった。レビンが視線を前に走らせると、様子を伺っていたリタリーは視線をさっとそらした。

――何話してんだ、リタリーのやつ!

「…だ、大丈夫だって。もう、じゅ、じゅ十分元気になったよ! それに随分みんなから離れちまった。急ごう!」

 胸中の焦りを最大限表に出さないようにレビンは努めた。明らかに先ほどと違う様子のレビンに首をかしげながらも、ドリーシュは小さく笑った。

「そうですね。では、参りましょう!」