有言実行 -- for example she won't hope --

 

 
「あー悔しい! モーすけに庇われるなんて一生の不覚!」

 簡素に整えられた部屋の一角で一人の少女が大きな声でグチをこぼしていた。外まで聞こえる少女の言葉とは裏腹に、その部屋のベッドに体を横たえている男はすやすやと静かに寝ている。しかし、時折苦しそうな表情を見せる。毒がまだ抜けきっていないからだ。

『盾になれ言うたんはワレじゃろうに』

 少女の脳裏に倒れる前に言われた言葉がよみがえった。その言葉を思い出す度に少女の腹は煮え繰り返るようだった。苛立ちを紛らわすようにタオルの水を力いっぱい絞る。

「こんなこと本当は望んじゃいなかったんだからね。バカ。それくらい分かりなさいよ」

 声をかけても眠りの中にいては反応があるはずがない。それでも沈黙に耐えられないのか少女はひとり言をずっと続けていた。他にも様子を見ると言ってくれた仲間がいたが、それは全部断った。これは自分の責任だから、私がきちんと面倒を見ると、少女が言ったのだ。

 魔物が持つ毒は基本的に即効性だ。魔物の体力は基本的に高く、争いの武器になる毒は相手の命を速やかに奪うために在る。モンスターに襲われることの多い冒険において、解毒薬や解毒の爪術は必需品である。しかし、その解毒とて全ての毒に対応できているわけではない。所詮は応急処置に過ぎないのだ。

――こんなことになるんだったらあんなこと言わなければ良かった。

 その言葉のせいではないとしても、人は言った事が現実になると言動に少なからず責任を感じる。少女の場合もそうだった。

「モーすけ。さっさと良くなりなさいよ」

 絞ったタオルで彼の額の汗を拭いながら少女は小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 

 疲れていて不注意だった。というのは言い訳にはならない。

 いつもの冒険の帰りだった。近くの遺跡に行ってウィルの魔物調査を一通り終え、夜になる前に灯台の町に戻ろうとしている途中だった。疲れた足を引きずっていてもダクトがある入り口に近づくと、ノーマの歩調は自然と早くなった。

「あー。疲れた。辛い。死にそー。モーすけのバカー」

 意味のない言葉を呟きながらノーマはものすごくだるそうに歩いていた。ちょうどすぐ後ろを歩いていたモーゼスは案の定反応した。

「なんでじゃい」

 こちらもノーマほどではないにしろ疲れていた。突然の理不尽な呼びかけに半眼で返す。 

「だってさ! 今日なんかどこかのトラップにはまったモーすけを助け出すのに結構体力つかったんだよー。あれくらいさっと避けてくんないと、助けるのが面倒じゃん。こんなに疲れているのはモーすけのせいだー」

 誰かがトラップが発動して、誰かがトラップの犠牲になる。それは最近の冒険ではほぼ日常的に繰り返されている光景だった。前者も後者もほとんど特定されているので、思わず当事者以外のメンバーは白い目をしてノーマを見た。

「ほほー。そのトラップは誰が起動したんじゃったかのう」
「ノーマさん以外にはいませんね。まあモーゼスさんがバカなのと同じでいつもの事じゃないですか」

 同じくノーマの後ろを歩いていたジェイがため息交じりに答えた。本人が意図しているのか意図していないのかは分からないが、いつもの言い争いが始まるまでそうかからなかった。

「なんか言うたかジェー坊」
「いいえ。何も言ってませんよ。気のせいじゃないですか」

 先頭を歩いていたノーマが足を止め、ぴっと振り返る。

「ちょっとジェージェー。今のは納得いかないぞ! 確かに今日はあたしがトラップを発動させたけれど、いつもいつもってことはないじゃん。ほら、クーとか、セネセネとか、モーすけとか!」
「そうでしょうか。今回に限ってはノーマさんだけのように思えます」

 冷静な言葉に場が沈黙した。ノーマは一つため息をつき、また歩きを再開した。

「はあー。こんなに疲れたのはモーすけのせいなんだから、盾になってよねー」
「なるかっ!」

 

 

 

 

 

 早速ウィルは倒れた魔物の爪から毒を、流れた傷口から血液を抽出すると、それをそれぞれ別のビンに閉じ込めた。

「これで血清が作れるようになるだろう。後はオルコットさんの仕事だ」

 ビンをカバンの中に収めると、ゆっくりと立ち上がった。それを見守っていた他のメンバーも一段落ついたように肩から力を抜いた。

「うー。最後の最後で鉢合わせるなんて最悪ー」
「もう一度ここに来る必要がなくなったんだ。ラッキーな方だろ」
「そうなんだけどー。どうせならもっと早く出てきてくれればすぐ帰れたのにって思わない?」

 ノーマは頬を膨らませた。ウィルと入れ替わり、倒れた魔物の前でしゃがむとその姿をしげしげと眺めた。

 今回、洞窟にみんなで足を運んだのは、あるモンスターの毒を手に入れるためだった。北の山脈を拠点として旅人をよく襲うようになったモンスターがいる。そのモンスターはただ人を襲うだけでなく、やっかいな毒を持っていた。例え命からがら逃げ延びても、その毒によって命を失う。最近その犠牲者が増えてきた。灯台の町の病院でも毒の血清が作れてないので、緊急の問題としてウィルに助力の要請が来たのである。ジェイがもたらした情報でそのモンスターがどこにいるのかはすぐにわかったが、実際に行ったものの中々見つからなかった。諦めて今日は帰ろうとした時に二メートル近い巨大な黒い体躯が草陰からのっそりと姿を現したのだ。

「さて目的は達成した。町に戻るぞ」
「りょーかーい」

 ウィルの言葉にみんな頷き、腰を上げた。ノーマも立ち上がる。後はすぐ近くにある町に直結しているダクトに行くだけと、誰もの気が緩んでいた。異変に一番に気付いたのは、ノーマについで二番目に魔物の近くに立っていたモーゼスだった。

「シャボン娘!」
「へ?」

 緊迫した声と一緒に、何が起きたかもわからないままノーマは突き飛ばされていた。地面に派手に転がった後、慌てて上体を起こした。それと同時に音を立てて目の前の影が崩れ落ちた。

「ふー。まだ、生きっちょったんか。しぶといやつじゃ」

 地面に再度倒れたモンスターを前にモーゼスが立っていた。モンスターの胸を槍でついたのか、手にしている槍は血にまみれ、モーゼス自身もいくらか返り血を浴びていた。それを見てすぐにノーマは状況を理解した。擦りむいた膝の痛さに耐えながら、立ち上がる。

「ノーマさん。お怪我はありませんか」

 心配そうに駆け寄ってきたシャーリィに、ノーマは笑顔で答えた。

「ちょっと膝擦りむいただけだから、大丈夫ー。んもー、モーすけがもうちょっと優しくやってくれたらこんな怪我しないですんだのにー」
「突き飛ばすのに強いも優しいもあるかい。ぼーっとしちょるのが悪いんじゃ」

 このいつもの言い合いが始まったのを機に、臨戦態勢に入っていたセネルは今度こそ周りに危険がないことを確認して拳を下ろした。周りも同じく安堵のため息をつく。ノーマはバツが悪そうにそっぽを向いた。

「なんじゃい。その態度は」
「どーせあたしは不注意ですよーだ」

 内心のざわついた心を隠して、ノーマは悪態をついた。そのまま目をそらす。

 倒れる影。流れる血を見て、ノーマはとっさに最悪の状況を頭に思い描いていた。もう大丈夫だとわかっていても、血にまみれたモーゼスを見ていると落ち着かなかった。

 そして、誰も気付かなかった。それはモーゼスが返り血を浴びていたことや、本人が自分については何も口にしなかったことが、原因だったのかもしれない。

 

 

 

 

「なぜ言わなかった」

 問い詰めるウィルの言葉にモーゼスは大したことないの一点張りだった。あのモンスターの最期の攻撃がモーゼスに届いていた。始めはなんともなかったモーゼスも、時間が経つにつれて自分の体調がどこかおかしい事に気付いた。しかし、モーゼスはその時点では何も言わなかった。
  街につく頃には汗を額に滲ませる様になっていた。その異変に気付いたウィルが慌てて解毒の爪術を使ったが、体調が少し良くなるだけで根本的な解決には向かっていなかった。さらに時間が経つことによって状況は悪化していった。

「あのモンスターの毒は爪術では簡単に解毒できないと教えたはずだ。全く。どうしてすぐに言わないのだ」

 ウィルの家の一室でモーゼスは寝ている。気を失ったモーゼスを前にウィルはため息混じりに呟いた。少なくなった活気のためか空気は重かった。この一室には寝ているモーゼスと、ウィル、ノーマ、ギートの三人と一匹しか居なかった。他は病院に行って薬を調合してもらっている。
  時刻はもう夕刻を下回っている。本来ならば明朝届けるはずだった毒のサンプルは、大急ぎで病院に運ばれることとなった。

「あたしのせいだ」

 ノーマはうつむいて下唇をかんだ。

「あたしを庇ってあんなことになったから気を使ったんだよ。このバカ」

 ギートが心配そうにノーマを見上げる。それでもノーマの硬くなった表情は変わらなかった。モーゼスが倒れて一番責任を感じているのはノーマだった。あそこで自分がへまをしなければ、と考えても仕方のないことが頭の中でぐるぐると回っている。病院に行かないでここに残ったのもその責任感からだった。
  ノーマの様子を黙ってみていたウィルはワザとらしくせきをつくと、おどけた様に肩をすくめた。 

「ふー。ノーマまで静かだと調子が狂うな。私たちの中でも騒がしさでは1,2を争う二人がこの場所に居るというのに」

「オヤジ。そんな言い方ってないんじゃないの」

 食ってかかるように非難の目でノーマはウィルを見上げた。ウィルはその視線を冷静に受け止めると、モーゼスに視線を向けた。ノーマもつられて苦しそうに寝ているモーゼスを見る。

「モーゼスが黙っていたのはノーマに暗い顔をしてほしくないからだろう。このような状況を招いたことは許されることではないが、その気持ちくらいは理解してもいいはずだ。自分を責めるのはよせ。責めた所で何も変わらん。それに、遺跡船随一の名医が薬を作るんだぞ」

 その言葉にノーマは驚いて目を瞬かせた。いつも固いことしか言わないウィルが精一杯ノーマを励まそうとしていることが伝わってきた。張り詰めていた思いは少し軽くなり、ノーマはいつものおどけたような笑顔を浮かべた。

「あちゃー。ウィルっちに一本とられた。そーだよね。モーすけは平気だよね」

「当たり前だ。何の為に俺たちがあそこに向かったと思っているんだ」

 ウィルも笑みを返した。
 
 

 

 

「少し病院の様子を見てくる。状況がわかったらすぐに戻る」
「わかった」

 あれからしばらくしてそうウィルが言い出した。どれだけ薬ができあがっているのかが気になっていたのだろう。ウィルは足早に部屋を出て行った。
  それからは話す相手といったらギートしか居なかった。不安を紛らわすようにノーマはギートのたてがみをなでていた。ノーマが言いたいことをギートに言い終えると、部屋はまた静かになっていた。ちょうどその頃、モーゼスがうっすらと瞳を開いた。

「あ、モーすけ気がついた?」

「ワイ…どうしたんじゃ」

 ぼんやりと小さく呟きながらモーゼスは視線を泳がせた。その視線が覗き込むようにかがんでいるノーマに止まる。

「毒でぶっ倒れたんだよ。あんなの早く言わないとだめじゃん。何やってんのサ」

 気を失ってからモーゼスは初めて目を覚ました。ノーマは安堵と共に涙腺が緩み、目じりに浮かんだ涙を軽く拭った。

「なんでそんな顔しとるんじゃ…。盾になれ言うたんはワレじゃろうに…」

 その言葉にノーマは息を飲んだ。胸の奥に一度しまっていた思いが溢れて心が苦しい。そんなノーマの心情を理解したのかはわからないが、モーゼスは手を伸ばして頭に乗せるとらしくなく優しくなでた。予想しなかった行動にノーマは目を丸くした。

「も、モーすけ?」

「そんな顔は似合わんぞ。シャボン娘なら笑っとかんと…」
 
  いつもと違う柔らかい笑みをモーゼスは浮かべていた。ノーマもされるがままに頭をなでられていた。大きくて暖かい手だなあ、と心地よさを感じながら。
  しかし、不意にその手が力尽きたように落ち、モーゼスは苦しそうに呻いた。

「モーすけ? だ、大丈夫?」

 再度目を閉じたモーゼスは荒い息のまま返事をしなくなった。不安がまたノーマの胸に押し寄せる。返事をするまで揺すり動かしたい衝動に駆られたが、ノーマは自分に冷静になるよう必死に言い聞かせた。ウィルを呼ぼうとして、先ほどウィルは病院に行ってしまったことを思い出した。解毒の爪術は自分には使えない。

「薬ができたぞ!」

 セネルたちが薬を手に現れたのはそれから数分後だった。その数分がノーマにはとてもとても長く感じられて仕方がなかった。

 

 

 

 

 陽光が差し込んでいることに気付き目を開けるとまず天井が目に入った。起きたばかりで働かない頭をゆっくりと回転させ、見慣れない所に自分が横たわっていることを確認する。体を起こそうとしたら背中に痛みが走った。その痛みで今の状況を思い出し、また深くベッドに身を埋めた。

――あー。そうか、ワイ。毒でぶっ倒れて。

 頭だけ巡らすと見慣れた栗毛頭が自分の腹の上に乗っかっていた。だらんとベッドの上に預けられている手にはタオルが握られている。顔は反対側を向いていて分からなかったが、すぐに誰かは想像がついた。イスに座り自分に頭を預けて完全に眠っている。

――道理で重たいわけじゃ。

 ベッドの下にはギートが寝ていた。こちらも気持ちよさそうに寝ている。空を見るとまだ朝焼けが始まったばかりだ。まだまだ普段の起床時間よりかなり早い。このまま起きてもいいのだが、さっき走った痛みを考えるともう少し寝ている方が良い様に感じる。
  どうしたものかと一人考えていると、不意にノーマの頭が動いた。別に静かにする必要などないというのに、思わず硬直して様子を伺った。

「モー…すけー。…早く…よくな……すぴー」

 寝返りをうたせて寝言を言っただけだった。ほっと息を吐く。顔が見れるようになった。栗毛の合間から気持ちよさそうに眠っている顔が覗いている。

――黙っとりゃあ幾らか可愛くみえるのにの。

 ついじっと見入っていることに気付き、慌てて目をそらした。疲れていてらしくないことを考えたと、胸中に沸いた思いを拭う。ただ一つだけ気になって、またノーマの顔をじっと見た。そして、さっき見えたものが錯覚でなかったことがわかり、ため息をついた。先ほどとは別の複雑な気分だ。

――次はちゃんと守っちゃるからな。

 涙の跡。どちらかというと情けない気分だった。守ったと思っても心配かけるようじゃ自分はまだまだということだ。
  右手を伸ばして栗毛を無造作になでると、自身ももう一度目をつむった。