今という名の時間

 

 
――ミントがうらやましい。

 考えても仕方の無いことが頭に浮かんで、とっさに首を左右に振った。目をもう一度開くと飛び込んでくるのは精霊の森の豊かな深緑。それらが風に合わせて左右に揺れる様を見ていると、沈んだ心が少しは楽になるような気がした。

――本当に、考えても仕方の無いことなのにね。

 100年待った思い人は相変わらずで、本当に嬉しかった。そりゃ、百年もこっちだけが待ったという分、こっちだけ損している様な感じはする。でも、そんな些細なことが気にならないくらい、あいつに会えたことが嬉しかった。でも――、100年という時間は、本当に長かったんだと思う。時々、時間が経つことがものすごく恐ろしい。

 だから、ちょっと逃げてきてしまった。行き先も告げずにこうして一人になってみると、周りに立ち込める空気は待ち続けた100年間と同じだった。静かで、透きとおっていて、森は穏やかだった。あいつに会いたくても、会えない。そんな時は決まってこの精霊の森で時間を過ごしていた。あいつらが住むことになる町に一番近い森。ここにいれば木の合間からひょっこりとあいつが顔を覗かすんじゃないかという期待があった。ありえないことだとしても。

――そんなことあるはずないのにね。

 気付けばその時と同じように森を食い入るように眺めていた。下草に覆われた大地とその上に堂々と根を張る樹木たち。その木々の合間を、手ごろな岩に腰をかけ、過去の自分と重ねながらじっと見ていた。出てくるんじゃないかという期待と、出てくるはずが無いという諦めが胸を半々くらいの割合で占めていた。過去、こんな時間の過ごし方でどれほどの時間を潰したかは数えられないくらいこうしていた。今ではすっかりアーチェの癖になっていた。

――どうしてあたしは長寿なんだろう。エルフもハーフエルフもなんだってこんなに長生きなんだろ。

 別に長寿であることが悪いとは思わない。けれど、なんだか哀しかった。もし、自分が人間と同じ位の命の時間を持ち合わせていなかったなら、自分はクラースが何を言おうとも今の時代に残ったと思う。そして、100年待つことも無く、ミントと同じように同じ時間を、同じ場所で、あいつの傍で、同じものを眺めながら生きていける。そうだとしたら、これ以上ない幸せだと思う。

 木々を相変わらず眺めながら、アーチェは静かにため息をついた。その視線は木々の合間ではない、どこか遠くを見ていた。だから、些細な変化にアーチェは気付くことが無かった。

――待っている時はそんなに気にならなかったのに、今になって急に後ろ向きになるなんてあたしらしくないよね。

 一人、自嘲気味に笑った。待つことは確かに辛かったけれど、時間が流れることは別に怖くなかった。むしろ、早く流れてほしいとすら考えていた。でも、その時間の合間にたくさんの人に会い、たくさんの人と別れて、誰かにもう会うことができなくなるという怖さを知ってしまった。100年前はただ、100年後に再会することを楽しみにできていた。でも、その後は? その人に会えなくなってからも100年、いやそれ以上の時間をあたしは過ごさなきゃならない。そのことを理解した時、時間が経つことが途端に怖くなっていた。

 

「お前、こんな所で何やってんだ?」

「えっ!?」

 突然降って沸いてきた声に、アーチェは不意をつかれ一瞬反応が遅れた。どこから声が飛んできたのかと、目を見開いて慌てて左右を見やる。その様子を彼女の視界の外から見て、声の主は軽く噴き出した。

「何やってんだよ。ここだよ、ここ」

 声に引っ張られて上を見上げると、案の定声の主が、上から顔を覗き込むようにして立っていた。端正な顔にはしてやったりという小憎らしい笑みが浮かんでいて、青みがかった長い銀髪がそこに影を落としている。

「チェ、チェスター? あんたなんでここにいるのよ!」

 互いに目が合うと、チェスターは岩から降りて地面に降り立った。出てくると想像もしていなかった人物に、浮き足立ったような気分でぎこちなく問いかけた。正直な所、うるさくなる心臓の音を相手に気取られないようにすることに一生懸命になっていて、思考がまとまらなくなっていた。

「なんでって…、見ての通り食料採りに来たんだよ。お前こそ、なんだってここにいるんだ? 出掛けるっつったから、てっきりユーグリッドにでも行ってんのかと思ってたぜ」

 と、愛用の弓と矢筒を見せる。

「べ、別にどこに行っててもいいでしょ!」

 慌ててその視線から顔をそらした。思いがけなく現れたけれど、やっぱり嬉しい。会えたことが。

――ダメだなー。これじゃベタ惚れじゃん。

 さっきまでの物静かな心情はどこへ行ったのか、アーチェはとにかく嬉しかった。顔がにやつくのを止めれなくて、思わず無理にすねた顔を作ってそっぽむく。

――素直じゃない…よね。

 そう言えば、今はここにチェスターがいるのだ。待っていた100年間の自分と重ねていた為に、そのことをすっかり失念していたのである。あの時は、絶対に現れる事が無かった。わかっていたけれど、期待せずにはいられなかった。だから、今はとにかく嬉しくてしょうがなかった。

 しかし、ふとアーチェは気が付いた。自分は岩に腰をかけて、トーティスの村の方を、精霊の森の入り口の方をずっと眺めていたのだ。もちろん、普通、この森に入ってくるのだとしたら、当然気付いているはずだった。少なくとも、アーチェが気付かなくても、もう片方は気付いていたはずである。

「……そういやいつからいたの?」

「ついさっき来たとこだよ。お前ったらどこ見てんだか、全然オレに気付かねえでやんの。ま、おかげで間抜けな面を拝めたけどな」

「あんたねー。もう少しマシなことの一つや二つ言えないの? そりゃビックリもしますよ、たちの悪い笑み浮かべて上から眺めている人がいれば」

「……お前の口は相変わらず悪いな」

「それはお互い様でしょー」

 ちょっとした沈黙の後、どちらとも言わず吹き出して笑った。

――相変わらずって、あんた。あたしは百年も待ったんだよ。

 それでも変わらないものがある。アーチェの目じりに涙がほんのりと浮かんだ。

 

 

 この後、狩りを手伝うと言ったアーチェが返ってチェスターの邪魔をしたことは言うまでも無い。