「モルさん」
「もうすぐお別れだね」
「そうですね」
アラジンの言葉に頷きながら、ふと私は首をかしげた。
別れ、とは言ったものの、アラジンとは数週間後にはまた合流する手はずになっている。この前の、一年以上空けるわかれでもないのに、その時と同じような雰囲気をまとっているアラジンに、私はこの時少し違和感を感じていた。
「急に言い出すなんてどうしたんですか? またすぐに会えますよ」
明日の出発の用意を済ませて、アラジンに向き直る。
彼はただ私の言葉に、微笑を浮かべただけで、視線を壁に向けた。
「アリババ君は、さ」
壁の先の隣室で休んでいる彼女。
「強い人だよね。強くて優しくて、人を、本当の意味で助けることができる、尊敬する僕の友達だよ。でもね、沢山の人を彼女は助けることができるのに、たった一人だけ、彼女では助けられない人がいるんだ」
「それは……」
誰ですか、とと思うとして、アラジンが言いたいことがわかってしまった。
ただ、どうして、突然そんなことを言い出すのか、アラジンの意図が読めずに私は困惑していた。
「アリババさん自身。とアラジンは言いたいんですか」
確かにアリババさんは人を救える。でも、その時に自分の体や心が傷つくことを省みない。あれだけ、人に尽くす半面、自分を守ることに全く意識を置かない。だからこそ助けることができるのかもしれないけれど、傍らで見ている私はいつも不安で心をかき乱されそうになる。
「うん。だから、心配なんだ。アリババ君が、自分でもどうしようもできない傷を負ってしまったらって」
アラジンの瞳は聡明な輝きを持っていると思う。静かに、先を見通す光。
ただ、今話しているアリババさんの傷の話が、半年くらい前に起きたアノコトを指しているような気がして、心臓が早鐘を打ち始めた。
アノコト事体は、私もアリババさんもアラジンに話していない。
口にするのもはばかられる出来事だったし、その後の進展はなかったから、というのが大きい。
彼女は頑なに私の気持ちを拒んだし、その後ジュダルがちょっかいをかけてくることもなかった。
何も、なかったことになっていた。
「僕には、アリババ君の傷を癒せないから……。モルさんなら、って、僕は思っているんだけれど」
「……私が、傷つけてしまうかも、しれないですよ」
ゆっくりと吐き出した言葉は、どうにも歯切れが悪かった。
「モルさんなら大丈夫だよ。モルさんは、アリババ君のことを愛しているよね。僕は、彼女のことが好きだけど、愛することはできないから」
そう言うアラジンの瞳は、彼の言う通りには見えなかった。
「アラジンも、アリババさんを愛しているのではないですか?」
「そう、かな……。そうかもしれないけど、ね」
はっきりと、アラジンは言わない。ただ、嘆息をついて、壁に向けていた視線を私に戻した。
「たくさんの人に愛されると、アリババ君が壊れちゃうから。僕は、モルさん達みたいな愛し方は、もうできないんだ」
その言い方に、アラジンが『愛する』ということを、どの行為として言っているのかに気付いてしまう。
そして、同時にその言葉は、ジュダルの行為も肯定的に認めているようで、私には居心地が悪くなった。アイツの行為を決して認めたくない私は、それ以上アラジンの言葉を聞きたくなかった。
「……アイツは、アリババさんを愛してなんか、いないです」
「本当に、そうだと思う? 確かに最初は愛なんてなかったのかもしれない。でも、『愛してしまった』としたら?」
どうしてアラジンが、『知って』いるのか。
疑問に思ったけれど、それ以上に彼の言葉が今の私にとって毒のようだった。それも、耳をふさぎたくても、ふさげられない。
「それにモルさんは……、アリババ君が彼のことをどう思っているのか聞いたことはあるかい? 加えて、もし彼女が彼を助けたい、と思ったら? どうなるかな?」
どうしてそんなことをアラジンは私に聞くのか。
「僕はその時が怖いと思う反面、それを見てみたいとも思うんだ」
「私は、見たくありません」
何を。何をアラジンは言っているんだろう。
それ以上聞きたくなかった。アラジンが、恐ろしいことを示唆しているようで。
「あんなことはもう二度とないように」
アノコトは過ちで。
「私が、アリババさんを守るんです」
繰り返さないようにするのが、前に進むこと。そう思うことは間違いじゃないでしょう?
「傷つかないことが正しいとは限らないよ。時には傷つくことを恐れず、前に進むことでしか癒せない傷もあるんだ」
「それじゃ、いつまでも傷だらけのままじゃないですか」
彼の言葉は矛盾だらけだ。
会話はそこで途切れてしまった。
アラジンはそれ以上言葉を紡がなかったし、アラジンが話さない以上私も言葉を紡ぐこともなかった。
どうして私はこんなにイライラしているんだろう。
それに、静かなアラジンの視線を向けられて、苦しくて、ここから逃げ出したかった。