ゆめとうつつと ――6――


「アリババさん!」

 崩れ落ちた彼女にかけよれば、苦しそうに息をしながら彼女が顔を上げた。安心したように笑ってはいるけれど、頬に残っている涙の跡が痛ましい。

「……あり、がとな。モルジアナ。助けに来てくれて……」

 被っている布はずれ落ちていて、アリババさんの素肌が半分以上月明かりに照らされていた。照らされ白く浮かび上がる肌に、食い入るように眼を奪われていたことに気付いて、私は慌てて首を横に振った。

――な、何を考えているんだ、私は!

「モルジアナ?」
「な、なんでもありません!」

 首をかしげてアリババさんに上目遣いに見上げられると、鼓動がはやくなる。素肌をさらけ出して、潤んだ目で見上げるなんて――。無意識にやっているのだとしたら、人が悪すぎる。
 目にしてしまうのがいけないんだ。と、ずれ落ちている布を彼女の肩までかけ直そうと、私は手をかけた。布ずれの音と共に、アリババさんが体を震わせた。

「ヒャァッ!」
「……ア、アリババさん?」

 突然上がったのは甘い声。
 一瞬、何が起きたのかがわからず私は目を白黒させてしまった。え? 変な所を触りましたか、私? と聞くこともできず、顔を真っ赤にして口を押さえているアリババさんを前に、手を止めてしまう。布を掴んだまま、何も言うことができず向かい合っていた。
 沈黙を破ったのは、部屋の外から聞こえてくる足音だ。壁を壊したり、騒いだりしているのだから、宿の人間が様子を見に来ないはずがない。

「と、とにかくここを去りましょう!」
「お、おう」

 床に散らばっているアリババさんの服をかき集め、見つけた鞘にアモンの剣を収める。それらの荷物を一まとめにして、布を巻きつけたアリババさんを両腕に抱きかかえた。
 さっきの様子が気になるけれど、細かいことを気にしている時間はない。

「このまま私達の宿に戻りますが……。いいですか、アリババさん」

 服を脱がされてはいたけれど、最悪は回避された。
 そう思っていいんですよね。アリババさん。駆け寄ったときに彼女が見せてくれた笑顔はそうゆうことだって思いたい。

「……ああ」

 返ってきた返事は小さかった。アリババさんは何かを堪える様に、口を結んで震えていた。

――その理由も後で聞こう。

 入って来た時と同じように、私は、壁のふちに足をかけた。






 体が熱い。熱くてむず痒くて、気を抜くと変な声が口から漏れてしまいそうだった。
 ジュダルに飲まされた薬がとうとう本格的に回ってきたらしい。体の熱は上がっていく一方で、モルジアナに抱きかかえられている間も酷くなっている気がする。
 特に、モルジアナが地面を蹴る衝撃。そいつを感じるだけでも、色々とヤバイ。布越しに全身を揺さぶられて、声を堪えるだけで精一杯だ。

――もっと触れて欲しい。

 ぼんやりと、そんなことを考えながらモルジアナの顔を見上げていた。
 布越しじゃなくて、素手で、俺の肌を、もっと――。
 と、そこまで考えて、不意に熱に浮かされた思考から解放され、慌てて心の中で首を振った。

――イヤイヤイヤ。何考えちゃってんの、俺。薬。薬のせいだよね? そうに決まっているよね?

 頭に浮かんだ想像を俺は必死に振り払う。
 熱に浮かされて余計なことを考えていた。大体、モルジアナが俺にそんなことを――。
 そう考えて、俺は現実を思い出した。

――ああ、そうだった。

 昨日のモルジアナの行動は全部ジュダルが仕組んだこと。
 それを俺はモルジアナに伝えないといけない。モルジアナは何も悪くないって、モルジアナは何も気にする必要がないって――、伝えないといけない。
 自分の意思じゃないのに、俺に乱暴を働いたんだと、自分自身を責めてモルジアナは苦しんでいた。彼は不当な苦しみから解放されるべきだ。
 覚えてもいないんだ。彼が何の感情も俺に向けてないってことはわかったじゃないか。
 俺を抱きながらモルジアナが俺の名前を呼んでいたのも、全部ジュダルが仕組んだことだろ。

 それなのに、俺が彼を『欲しい』だなんて。
 今度は俺の身勝手で彼を苦しめるだけじゃないのか。

 モルジアナはこの街のどこにいるともわからない俺を、こうして見つけて助け出してくれた。
 俺は感謝こそしても、これ以上彼を苦しめるつもりはない。ジュダルがやったことをモルジアナに話せば、本当の意味でこの話は終わりになるんだ。文字通り、『なかったこと』になる。

――でも、俺は。

 何故か、そう思うと胸が苦しい。
 
――俺は、モルジアナのことをどう思っている?




「……モル、ジアナ……」
「どうしました?」

 呼べばやさしい彼は足を止めてくれた。足を止め、俺の顔を覗き込んでいる。夜風が月明かりに照らされた彼の髪を撫でる。
 その彼に布の隙間から手を伸ばした。頬に触れると、風に当てられてか冷たくなっていた。火照っている手にはその冷たさが気持ちがいい。

「ア、アリババさん?」

 彼の腕の中で、身を乗り出して――。
 自分の気持ちを確かめるように、俺はモルジアナの唇に自分の唇を重ねていた。少し乾いた唇。でも、重ねているだけで胸が暖かくなっていく。

――うん。嫌じゃない。安心する。

 痛くて怖かったけれど、それでもジュダルに操られたのがモルジアナで良かった。って俺は思っている。

「俺、やっぱりモルジアナのことが好きだ」

 『なかったこと』になんてしたくない、なんて。俺はわがままなんだろう。
 それに、これが最後になってもいいから、もう一度モルジアナに抱いて欲しい、だなんて。

 口角を上げて言ったけれど、俺はうまく笑えたんだろうか。






  モルジアナから手を離して、俺は両腕を掻き抱いた。モルジアナがどんな表情をしているのか、見てみたいけれどそれも叶わず俺は俯いた。

――マズイ。

 熱を上げていく体が、どんどん思考を熱で支配していっている。
 嫌でもジュダルに飲まされた薬の意味がわかってしまう。どうして、あんなにもあっさりとジュダルが引いたのかという理由も、わかってしまう。
 このままじゃ俺の意識なんていつまで保てるかわかったもんじゃない。体が誰でもいいから、他人を求めてしまいそうな恐怖。気が狂っていく。俺がこうなるのをジュダルはわかっていたんだ。その上で俺が苦しむことも織り込み済みなんだろう。
 でも、そうなるなら――俺だってなけなしの理性で選びたい。

「頼み……が、あるんだ」

 吐く息が熱い。モルジアナの顔も見れない。説明したくても言葉をろくに繋げられる時間がない。
 最初で、最後のわがままにしようと思った。

「俺を、抱いて欲しい」

 

 

「……後悔、しませんか?」

 こくり、と俺は頷いた。