とんとんとんとん。
包丁がまな板を叩いている音で目が覚めた。むくりと起き上がって、パジャマのまま1LDKの小さなキッチンに足を運ぶ。そこには白い着物をきて調理に励む黒髪の男が立っていた。手にしている包丁は綺麗なリズムを刻み、あっという間に料理を作っていく。
今朝は野菜炒めとウインナーか。とフライパンの上を眺めながら、俺は首を横に振った。今日もうまそうだとかそんなこと考えている場合じゃないだろ。いつまでもこいつに依存してちゃ俺は駄目なんだ。
「なぁ、白龍。お前もう成仏しろよ」
何度目かわからない言葉を俺はそいつの背中に投げかけた。そいつの名前は白龍という。実を言うと、白龍の足元はうっすらと透けている。つまり、見ての通り死霊<レイス>だ。
体も普通の人間には目にすることもできない。俺は生まれつき霊感があるから見えるけれど、上の二人の兄貴は全くないせいか白龍の姿を見ることができない。俺が一人暮らしをする時に白龍が俺に着いてきたのにはそんな経緯があった。
「どうしてですか? アリババ殿にはまだ俺が必要でしょう? 料理も満足にできないくせにあんた何言っているんですか」
「朝食なんてパンがありゃ十分だよ! それに、昼飯も夕食も一人で食う分にはなんとかなる。それにいざとなったらコンビニの弁当だってあるし……」
「そんな乱れた食生活は俺が認めません。そのせいで体調を崩されでもしたら、あなたのご両親に顔向けできなくなります」
そう言いながら白龍は器にもった料理を机の上に配膳していく。当然ながら一人分の料理だ。箸をつければ文句がないくらい上手くって、ぐうの音も出ない。かといってここで引き下がるわけにはいかなかった。
「……ウチはもうとっくの昔に死霊使いとしちゃ廃業してんだぞ。レイスだってウチに残ってんのお前一人だけだろ。他の連中はお役御免でルフの流れに帰ったって言うし。それに段々ウチの家系でも霊感薄くなってきただろ。早いうちに解約しといた方が白龍の為にもいいと思うんだけど」
ウチというのは俺の家、サルージャ家のこと。なんでも死霊使いの家系としてその業界じゃ有名だったらしい。でも、時代の流れとか仕事が減って来たとかで廃業したのは俺が生まれるずっと前。30年くらい前だったって聞いた。その時に大体のレイスはルフっていう魂の流れの中に帰って行ったっていうけど、一人だけウチに残ったのが白龍だった。
理由はなんでも会いたい人がいるとか。この前の問答で白龍は白龍の会いたい人にはすでに会ったらしいことは突き止めた。相手の名前は吐かせられなかったが。でも、会いたいやつには会ったんだ。んじゃ未練なんてないんだから、成仏できるだろ。
「なんで俺をそんなに成仏させたいんですか。水道光熱費給与なし、かつ住居食費もかからないボディーガード兼執事みたいなのが傍にいるとでも思えば随分お得だと思うんですけど」
「ボディーガードなんていらねえよ。今の時代、んな危険なんかねえって。白龍こそ死霊のままでいいのかよ。お前だって昔は人間だったんだろ。ルフの中に戻って、生まれ変わって新しい人生歩んだっていいだろ。親父にもお袋にも許可はもらったんだ。解約の呪は教えてもらった。だから――」
「それはいいとして、早く食べないと学校に遅刻しますよ。せっかくの料理も冷めてしまいます」
「いいや、今日こそはなんとしても成仏の約束取り付けてやる」
「それじゃ俺は食事が終わるまで姿を眩ますとしますか」
「あ、おい!待てっ!」
そう言うなり白龍の姿は俺の前からかききえた。反射的に手を伸ばしたあとには空気だけ。ああそうだ。
こいつは問い詰めようとするといつも姿を消す。力ある死霊使いなら自分に仕えている死霊に姿を隠される何てこと無いんだろうけど、長年死霊やってる白龍と俺じゃ霊力的な力関係では天と地ほどの差がある。当然、そんな俺じゃ白龍を止めることなんてできやしない。
「ちくしょー。白龍のバカヤロー」
姿が見えなくなったけど、どうせ白龍は近くにいる。
早く白龍を成仏させないといけない。
急き立てる胸の内の思いにいつものように俺はまたため息をついた。
俺が物心ついた頃には、白龍は今と変わらない姿で俺の近くにいた。両親が共働きで家にいない時とか俺の面倒を見てくれたのは白龍だった。白龍は俺の最初の友達で、俺の家族で、いつまでも一緒にいるもんだと小さい頃は勝手にそう思っていた。
小学生の三年生になった時だった。夏になると肝試しや怪談話で盛り上がる。幽霊がいるのいないだの、見える見えないだのでやたら友達と話していた。その中で一人が言ったのだ。
「幽霊って可哀想だな」
って。
「なんで?」
「なんでって……。死んだのもそうだけど成仏できないのが可哀想じゃん。俺だったら早く未練晴らして次の人生をエンジョイしたいけどなぁ」
その友達曰く、幽霊だと自分で漫画も買えないし読めない。アニメも好きな時に見れない。美味しいものも食べれない。人生の楽しみを満喫できないから損をしている。と。
それを聞いたときはすごいショックだった。そんな風に俺は考えたことがなかったんだ。実際力のあるレイスである白龍は物に触れるし、一般的に思われている幽霊とは違うのかもしれない。でも、見える人間は限られているから、外で買い物はできない。それに話したい人と話すこともできないんじゃないかと思うと胸が苦しくなった。
それに長い間ずっと存在し続けるなら知っている人もどんどん死んでしまう。祖母が死んだときとか俺は悲しくて散々泣いた。白龍が慰めてくれたけれど、その時ってあいつは泣いていたっけ? 泣いてなかった様に思う。自分がもう死んでいるから泣くほど哀しくなかったのかな。そもそも幽霊って泣けるのかな?
それからだった。
白龍のことを良く考えるようになったのは。
死霊についても勉強した。家の本読んだり、実際に死霊使いだった父さんにも話を聞くようになった。自分が死霊使いになる気なんてなかったのに、俺は死霊について詳しくなっていった。
死霊の操り方には興味がなかったけど、基礎中の基礎らしいからとりあえず知った。そもそも、死霊を使役するには死霊と契約を結ばないといけない。つまり死霊ってのは契約に縛られている。契約が個人によるものか、血統によるものかはその契約しだい。世代を越えてウチに仕えているとなると白龍の場合は後者だ。その契約を解除すれば、死霊としては自由だ。未練がなければ成仏できる。30年くらい前に多くの死霊との契約を解除した際、ほとんどの死霊はすぐに成仏していなくなったらしい。自力で成仏できない場合は希望した場合に限り父さんが手伝ってルフの流れに返したらしい。
それと、契約解除にはある程度力のある死霊使いが必要になることを俺は知った。つまり、血統に対して契約しているのにその血統が死霊使いの仕事をやめるようになれば解除する死霊使いがいなくなる場合もあるわけだ。その場だと、その血統が途絶えるか、他の死霊使いに手伝ってもらわないと契約解除ができない。最悪のケースだ。
ウチの場合は後者に足を突っ込んでいる状態だった。父さんが死霊使いとしての力を持っているからまだマシだけどそれも父さんの代で終わりだ。父さんに話を聞けば、自分に何かあったら、俺に白龍の契約解除させるつもりだったらしい。んなの初耳だっつーの。
それを知ったときから、白龍を成仏させなきゃって俺ははっきり思った。
高校に上がって、一人暮らしするようになって、その時に白龍もついてきたのはチャンスだと思った。家に居ると他の兄弟の前じゃあまり白龍とも話すことができなかったから、これからは話す機会も必然的に増える。
説得して成仏させるにはこれ以上ない機会だと。
――思ってたのになぁ。
一人暮らし――もとい、二人で暮らし始めてから1ヶ月が経とうとしている。
なのに成果はほとんど上がっていなかった……。