「なぁなぁ。白龍に子供がいたらこんな感じかなー」
肩がピクリとはねるのが自分でもよくわかった。警戒心はもとよりないのか、食事をしている白龍さんを前にアリババさんはすっかり顔を崩してその様子を眺めている。
――落ち着け。落ち着くんだ、私。
アリババさんは何も考えていないに違いない。そうじゃなかったら今のタイミングで『子供』なんてデリケートなキーワードを言えるはずがないんだから。
――いくらなんでも自分のことなんだから、そこまで無神経じゃ……。
そう願いながらアリババさんの顔を盗み見ればいつも以上にヘラヘラとしたゆるみきった顔で、一生懸命さじでかゆを掬う白龍さんに慈愛に満ちた視線を送っている。その様子は自分の子供を愛でる母親のようだった。ついでに言うなら、自分が言った言葉の意味に全く気付いていないようでもあった。
「こんな可愛い子供だったら欲しいかもしんないなー」
バキリと。私が手にしていたさじが音を立てて真っ二つに折れ、テーブルの上に落ちた。さじが音を立てて折れたのと同時に、私の中でも何かがプツリと切れた。
「……アリババさん」
地を這う様な低い声。自分でもこんな声がでるんだと他人事のように感じつつ、私は視線をアリババさんに向けた。その声に不穏な空気を感じ取ったのか、笑っていたアリババさんの肩が跳ねて固まる。声に驚いたのはアリババさんだけじゃなかった。視界の端で食事をしていた白龍さんも止まって私を見ている。
「モ、モルジアナ……?」
我慢の限界だった。
アリババさんに甘える幼い白龍さんにも、それを甘んじて受け入れるアリババさんにも。
――あんまりです。
とどめは子供が欲しいという言葉だ。至極嬉しそうな顔をしながら、白龍さんの……ような子供が欲しいだなんて。
「『今の』あなたが言って良いことと悪いことが、おありなのはわかっているんですか?」
泣いてない。泣いてなんかいない。でも、泣きそうなこの気持ちはなんなのだろう。白龍さんの泣き虫が移りでもしたんだろうか。だってこれじゃ私はただのお邪魔虫じゃないですか。アリババさんと白龍さんはとても楽しそうな空気を醸し出しているのに、私だけがそれに馴染めない。小さい白龍さんと元の白龍さんを切り離して考えられなくて、どうしようもなく嫉妬してしまう。
自分の情けない内面を隠そうとしたせいか、思った以上に冷たい声が出てしまった。白龍さんとアリババさんの間に何もなかったなら、私は不愉快でもアリババさんの言葉を流せたかもしれない。けれど、駄目だった。仮にもあんなことがあった後で、そんなことをアリババさんに言われたら私は――。
「…………う、ご、ごめん、……なさい」
アリババさんも自分の失言――というか、アリババさんの言葉で私が気分を害したのは伝わったらしい。言わんとしたことも気付いたようで気まずそうに視線を逸らしている。
「不謹慎な発言は控えて下さい」
続けた言葉はますますアリババさんの体を縮こまらせてしまった。
――しまった。言い過ぎた。
辺りを見回す。さっきまでほのぼのとしていた空気は完全に凍ってしまった。朝食の時間が他の客とずれたため周りに人はいないけれど、それでも気まずいのは確かだ。
――こんなつもりじゃなかったのに。
小さい白龍さんが贔屓目にみなくても可愛いのは事実だし、浮かれていれば失言の一つや二つがあっても仕方がないだろう。……いやでも見過ごせない言葉でしたが。気を取り直して、言い過ぎてしまったことをアリババさんに謝ろうと私は口を開こうとした。
「……母上をいじめないでください」
その言葉より先に、白龍さんが口を開いた。その大きな瞳が私を睨んで歪んでいる。私のことが怖いのか睨みつけながらもテーブルの上に置かれている手が震えていた。よほど緊張しているのだろう。先程アリババさんが頑張って直したと言っていた呼び方は元に戻っている。
「白龍……?」
「あ、あなたの発言で母上を困らせるのは止めて下さい」
はっきりと、泣きそうになりながらも白龍さんはそう言った。
――あなたに言われなくてもわかっています。
「……母上は僕が守りますから」
その最後に付け加えられた小さな言葉に、思わず私はふっと笑ってしまった。
――……お前が言うな。
何をごちゃごちゃと細かいことを私は悩んでいたんだろう。私がこんなに白龍さんに対して悩む必要なんかそもそもないんだ。とても単純な解決方法があるじゃないか。この鬱憤と晴らす簡単な方法が。その後のことを考えると色々と問題がありそうだけれど、今はこれしかないだろう。
――絞める。
白龍さんは白龍さんだ。小さくなっても白龍さん。それなら、アリババさんにあんなことをした落とし前として私が彼を絞めても問題ないですよね? 守るどころか思いっきり危害加えていたのはどこの誰ですかね?
急に笑顔になって立ちあがった私に不穏な空気を感じ取ったのだろう。アリババさんも慌てて立ちあがって、白龍さんと私の間に立ちふさがった。
「ちょ、ちょっとモルジアナ。お前、なにを」
「もう我慢の限界です。子供だろうとなんだろうととにかく一回ぶん殴らせて下さい」
「駄目に決まってるだろ! 相手は子供だぞ! 子供をお前が殴ったら大怪我だぞ!!」
「子供だからって白龍さんです!! それともなんですか? あの言葉は本意なんですか? 白龍さんの子供を産みたいって本気で言っているんですか!?」
「そこまで言ってない!!! あれはただ子供って可愛いなって」
「子供だからって何でも許されると思ったら間違いです。小さくなって忘れようとも落とし前をつけなかったのがそもそもの間違いだったんです!」
「このちっこい白龍はまだ何もしてないだろ!」
「これからするとしか思えません!」
というかもうしてます。さっき寝ていた時に思いっきりあなたの胸にすりよっていたんですよ。
私的には十分あれでアウトですよ。たとえそれが子供が寝ぼけて母親にすりよってしまう本能のようなものだとしても、今の白龍さんには時期的にNGです。私が許しません。
「っ! ……頭を冷やせっ! モルジアナァアアッ!」
アリババさんの叫び声と共に顎下から脳天に衝撃が突き抜けた。殴られたのだと、一拍置いて理解した。
彼女が素早く繰り出した右の拳を避けられなかったのは、彼女自身が数年前に比べて強くなったのもそうだけれど、最大の理由は彼女の背に守られた白龍さんに完全に意識が向いていたからだろう。殴られるまで私はアリババさんの拳に気付けなかった。
「へ? あ? ちょ、モルジア……」
慌てるアリババさんの声を聞きながら、ぐらりと、上体が傾いて、視界が暗転していった。
気を抜くといつも通りに話が暗い方向に行きそうで悩みます。とりあえずNGワードをアリババ君に言わせてみた結果がこれです。