どんどん積み重なっていく間違い ――6――


 どこだっただろうか。いつだっただろうか。
 アリババさんと私は話していた。アリババさんは思いつめたような顔で首を横に振る。
 ああ、そうだ。これは――。

『――だったら私も一緒に』
『ごめん。モルジアナは、連れていけない』

 胸に暗闇を落とした言葉だった。その言葉を聞いた時の衝撃は今でも忘れられない。そう言えば、アリババさんはアラジンに同じ言葉を投げかけられていた。その時のアリババさんも、こんなに辛かったのだろうか。身が引き裂かれたように心が痛い。苦しい。それこそ一瞬思考が止まってしまうほどの。

『うそ、でしょう?』

 手が震えた。言葉がうまく紡げない。
 行かないでください。置いて行かないで。また、あなたは私の前からいなくなってしまうんですか。嫌です。一緒に連れて行って下さい。私にあなたを守らせて下さい……っ。

 どんなに言葉を紡いでもアリババさんを引きとめることはできなかった。彼女が内に抱えている物も知らず、私は自分の喪失感に打ちのめされ立ち止まっているだけだった。目の前で彼女が奪われていくのを見ていくことしかできなかった。
 終わったことのはずなのに、この時の感情は今も私の胸を焼く。後悔として、戒めとして。

 

 

 目を開ければ飛び込んできたのは白い天井だった。よかった。夢だった。詰めた息を吐き出せば、熱に苦しんだ後みたいに背中に汗をかいていたことに気付く。

「モルジアナ? よかった、目が覚めて」
「……」

 かけられた言葉に顔を動かせば、視界の端に見慣れた黄色い髪が映った。

――そう言えばアリババさんに殴られたんでした、私。だからあの夢を見たんでしょうか。

 気を失う直前のやりとりを思い返して、またため息をついた。あの時の自分は確実に頭に血が上っていた。私が白龍さんとはいえ子供を殴ろうものなら、大怪我どころで済むはずがない。アリババさんの言い分に耳を傾ける余裕がないほど、本当にどうかしていた。
 体を起こせば顎にあてられていた布がぽとりと落ちた。

「うなされていたから心配したんだぞ」

 私を安心させるようにアリババさんがほほ笑んでいる。ベッドの上に落ちた布を拾うと、アリババさんは背を向けて近くの桶に布を浸した。

――よかった。アリババさんはちゃんとここにいる。

 アリババさんが離れていく夢を見たせいか、近くに彼女がいることにすごく安堵している自分がいた。ベッドから立ち上がって、アリババさんに近づいた。手を伸ばして後ろから抱きよせてしまったのは、夢じゃなく現実にアリババさんが近くにいることを感じたかったからかもしれない。

「モルジアナ……?」
「また、置いて行かれるかと思いました」

 ぎゅっと抱きしめた。腕の中の、紛れもなくここにアリババさんがいる暖かい感触に心が落ち着いていく。

「呆れられることをした自覚はあります。でも、もう置いて行かないでください」
「何言ってんだよ、モルジアナ。あれくらいで愛想尽かすはずがないだろ」

 腕の中でアリババさんが笑っているのがわかる。そのままあやすように背中に手を回されて、軽く叩かれた。暖かい。アリババさんの手のぬくもりも、抱きしめた体も暖かい。できたらずっとこのままでもいいかな、なんて思ってしまう。その暖かさに、胸の内にしまっていた本音が少しだけ口から零れていった。

「でもアリババさんはよく何も言わずに私を置いて行くでしょう。チーシャンの時もバルバッドの王宮に乗りこむ時も。白龍さんの時は言葉を交わしましたけど、私を置いて行ったじゃないですか……っ」

 あやすように私の背を叩いていたアリババさんの手が止まった。アリババさんの顔が見えなくて良かったと思う。今、自分がどんな情けない顔でいるかを見られないで済むから。
 首筋に顔を埋めて、少しだけ強くアリババさんを抱きしめた。腕の中でアリババさんがびくりと体を震わせる。

「怖かったんです。夢を見て――もし、またあなたがいなくなっていたらって――」
「それは……ごめん」

 抱きしめていた手をほどいてアリババさんの肩に手を置いて、体を少しだけ離した。眉尻を下げた困った表情でアリババさんが見上げている。柔らかく丸い頬には朱が差していて、その上での蜂蜜色の瞳で上目遣いだ。思わず唾を飲み込んだ。

「私には、言ってくれないんですか」

 ちょっとだけ私の声が震えていた。

「え?」
「私は……あなたとずっと一緒にいたいです」

 柔らかそうなアリババさんの唇。彼女の唇は甘い。なのだけれど、重ねる機会がなかなか訪れないし、色々と妨害があったりして、最近は御無沙汰だった。片手を彼女の顎に添えて、目を閉じて重ねようとすると、ぶちゅと思ったより固い感触。
 目を開ければ視界いっぱいにアリババさんの手のひらが広がっていた。

「……アリババさん」
「あーっ! ちょ、ちょっとタンマ! 今は無理ぃっ!! は、白龍が見ているからっ!!」

 言われて。視線を横に動かせば、わなわなと体を震わせて茫然と私達を見ている小さい白龍さんがそこにいた。

 

 

 目が覚めて一番最初に白龍さんからかけられた言葉は、

「ごめんなさい」

 だった。……その割には思いっきり私を睨んでいる。
 アリババさんによれば、事情は説明したし、どうして私がイライラしているのかも、事前に白龍さんが起こした事件も――事件に関してはかなりオブラートに包んだようだったが――説明したらしい。その上での白龍さんの謝罪だったのだろう。

 が。

 今、その彼の視線から私に感じる感情は、完全な敵意。しかも、アリババさんの隣に陣取っていてさり気無く腕をしっかりと掴んでいる。これが本当に謝罪?

――おかしいですね。

 一応謝罪の場という話だけれど、気のせいじゃなければどう考えても私と白龍さんは正面から睨みあっていた。